2006年02月13日

スリランカ防災「共育」プロジェクト現地レポート NO.12

(クキさんレポート 5)

手作り黒板のボランティアリーダーの一人にYASAさんがいる。彼女を私は、「マータラ
肝っ玉母さ
ん」と秘かに呼んでいる。彼女を見ていると、一つのグループに留まるのではな
く、全部のグループに顔をだしては、そっと、他のボランティアリーダーの手助けをして
いる。この、「そっと」が彼女を肝っ玉母さんと呼んでいる由縁である。彼女
は、例の『手作り黒板』が作られた村のボランティアリーダーであるのだが、今回も彼
女自らの意志で、ボランティアとして来て下さった。ボランティアが他の村でボランティアす
る。ボランティアのネットワークが創られていく。この「マータラ肝っ玉母さん」が多くの子ど
も(ボランティア)を育てていく」それも、『そっと』目立たずに育てていく。で
も、『そっと』は、大きな音になり、その音がやがては、『平和の鐘』のよう
に、マータラに、スリランカに鳴り響くと思う。それを鳴らすのは、ここ、スリランカの人々
一人ひとりだと思う。そして、私がスリランカを去る時に、この鐘を私も鳴らしたい
と思う。

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2006年02月09日

スリランカ防災「共育」プロジェクト現地レポート NO.10

(クキさんレポート 4)

スリランカの人は本当に、ダンスや歌が大好きなのが、プログラムに参加するたびに感じる。子どものみならず大人も一緒になって楽しんでいる。そして彼らの目はダイヤモンド以上に輝いている。その目が私たちをも輝かしてくれる。こうゆうことが「喜びの連鎖」であったり、「喜びの共有」なのかもしれない。日本人が忘れてしまっている、彼らの目の輝きを、笑顔を、私自身が彼らから学び、日本に持ち帰りたいと思う。
女の子によるダンスが披露された。ヒロとつい笑ってしまった。最年少の一番小さな、小さな女の子が、一番大きな赤ちゃん人形を落とさないように、必死になって踊っていたからだ。(写真参照)どの赤ちゃん人形をどの子どもが持つのかを誰が決めたのかは知らないが、仮にその子どもが決めたとしても、日本なら大人が小さいのに変えるであろうと思う。

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2006年02月07日

スリランカ防災「共育」プロジェクト現地レポート NO.9

(クキさんレポート 3)

今回の「防災共育」プロジェクトの最大の目的は、「子どもたちが楽しく防災を学ぶ」ことにある。そしてその活動を支えるのが地元のボランティアである。スリランカで当たり前となっている日常的な「ボランタリーな生活」を、地域の中だけでなく、スリランカ全土に向けて、更には世界に向けて「ボランタリーな活動」へと広がるとき、この「防災共育」が平和の足音をも運んでくるのではないだろうか。そしてその活動を黒子に徹して見守るのが私たちの役目だと思う。ある子どもが私に言った言葉を思いだす。「僕がするから、あなたは見ていて。」そう、その子は私とジャガイモの皮をむいていた。
最後に、クッキングアクティビティーでの料理は全てのディッシュが美味だった!日本チームの『天ぷら』は、臭いエビの皮むきにも子どもたちは耐え、見事なスリランカ風『天ぷら』ができ、とても好評だった。最後のイカ料理が仕上がった直後に雨が降りだした。グットタイミング。そして中で食事をし終わる頃、かたづけが始まる頃に雨が上がった。あまりのグットタイミングさに、日頃の行いが良いからだろうなと自分を褒めてみた。こんな事を考えていたのは私だけであろうが。
UNDPの方が、食事している子どもの写真を取り忘れたが、クキは撮った?と聞いてきた。ボランティアリーダーらが、幼い子どもたちを先に食べさせるため、給仕にいそしんでいた頃、私は自分の食事をすることに夢中になり、すっかり写真をとるのを忘れていた。反省、反省。
ボランティアリーダーらは、何回も何回も子どもたちに「お腹一杯になった?まだいる?」と聞き、水を注ぎ、5つ星のホテルでも、あれだけのサービスは受けられないと思うほどの給仕ぶりを発揮していた。そしてホテルのサービスにはない、『愛情』と『思いやり』という最大の武器でもって子どもたちに接していた姿は何よりも美しいと思った。

(事務局より)
ヒロさんこと、滝田さんのレポートで手作りの黒板の話しをお伝えしましたが、やっと完成したようです。この完成版を見たクキさんの感想を以下に紹介します。

−−手作りの黒板の完成版を見ることができた。見事としか言いようがない程の出来栄えである。これが村長宅の家のドアであると聞かされた時、村長宅のどの部屋の扉が使われたのだろうかと、つい家の中をジロジロと見つめて探してしまった。家の扉まで提供して、このプロジェクトを支えてくれるというのは、本気でなければなかなかそこまではしないだろう。
『彼らが必要としているものが、けして彼らが本当に必要であるものであるとは限らない』と、ヒロが言っていた。これは、私たちが気をつけなければいけないことである。物資を配ることは簡単なことである。彼らが聞いてきたから、それが必要であると思い、その物を提供する。私たちは、彼らが、聞いてきたのだから、それを渡したのだから、彼らのニーズにあった支援であると言う。しかし、その配られた物を、彼らが、村長宅に飾られている(この表現がぴったりなくらいに大事に、大事にしていた)黒板のように、大切に使っているだろうか。漁業用の網を作る機械がスリランカのあちらこちらで配られた。どの家庭にも余る程の機械が持ち込まれた。そして、今は埃を被って家の何処かに放置されている。
この黒板には、黒板消しが付いていた。黒板消しがほしいと言う子どもに、ヒロは「黒板消しがほしいなら、それも創ればいいじゃないか」と、又もやもちかけたらしい。そして、本当に、本当に、鳥肌がたつくらい見事な「手作り黒板消し」が完成していた。それを見たヒロは、「やれば何でも出来るじゃん!」と子どもに何気なく言っていたが、彼の目は赤くなっていた。そして何回も黒板に何か文字を書いては消し、書いては消しを繰り返していた。その光景を見ていて、私の目も赤くなってしまった。そして最後に、その黒板の裏が、立てかけられるように一本の棒が付けられていたのを発見したヒロは、今まで見たことのない最高の笑顔で、「GOOOOOD!」と、子どもに言った。子どもは照れながらも自信満々の笑みを浮かべていた。−−

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2006年02月06日

スリランカ防災「共育」プロジェクト現地レポート NO.8

<クキさんレポート2>
『ボランティアをするというのは何なのか?』こんな質問が頭をよぎった一日でもあった。先日、こちらのボランティアの子どもたちに「なぜボランティアをしようと思ったのか、土曜日、日曜日を自分たちの時間を削ってでもボランティア活動をしようと思った理由は何なのか?」と、UNDPの方が聞いたことがあった。大人に聞いてもなかなか答えられない難しい質問である。子どもたちも少々戸惑っていたように感じられたが、「歌が好きだから。」、「ちいさい子どもが好きだから。」、「踊りが好きだから。」等があがった。多分、質問者の期待していた答えと若干違ったかもしれないが、これが正直な彼らの気持ちであり、それ以上でも以下でもないと思う。ボランティアという観念?は、西洋から持ち込まれたものであり、彼らの地域で、隣の家が隣の家の子守をするのは日常生活に組み込まれている。困った時に手を差し伸べるのも当たり前のことであり、支えあい、助けあい自体が自然になされているのではないかと感じる。それが「ボランティアなのですよ。」と言ったところで、この言葉は後から作られたもので、元々から彼らの中にあるものだと感じる。ボランティアをしようと思った理由など本当は、ないのだろう。そう思うと、以前から考えている、『人間は元々ボランティアとして生まれている。』ということが、しっくりくる。物がなければないほど、足りなければ足りないほど、このボランティアという人間の生まれてもっている本質が発揮?されるのではないか。だから、あの KOBEの震災の時、何もかも失ってしまって、皆がボランタリーな活動を自然と、何も考えずにできたのでないかと思う。

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2006年02月05日

スリランカ防災「共育」プロジェクト 現地レポートNO.7

1月20日に、UNVボランティアとして、スリランカに着任した濱田久紀さんがUNVのオリエンテーションも終わり、とりあえず先に赴任している滝田(ヒロさん)さんの活動するマータラに入りました。しばらくマータラのホテル住まいになろうかと思いますが、何とかインターネットをつなぎ、やっとスリランカ発第1報のメールが届きましたので数回に分けて紹介します。ヒロさんのレポートもあるので、棲み分けしないと混乱しますがとりあえず単純に<クキさんからのレポート>とします。
以下は、マータラに赴任して最初のプログラムとなった野外料理教室(日本料理、スパニッシュ料理、スリランカ料理)に参加しての感想です。

<クキさんからのレポート1>
初めてTalallaの子どもたちによるプロジェクトに参加した。私たちが到着する頃には、既に子どもたちは集まっており、飾りつけをはじめていた。子どもたちなりに好きな様に飾りをしていく。UNから風船のプレゼントがあった。それを面白そうに膨らましては、膨らましすぎて割れてしまって大笑い。こちらまで笑ってしまう。ヒロが「小さく、小さく膨らましましょう!」とアドバイスする。しかし、暑さの為なのか、膨らましすぎなのか、数個の風船が割れてしまった。子どもたちは、そんなことはお構いなしでとにかく作業を楽しんでいた。風船が割れて気にするのは大人だけであろう。
暫くすると、ミュージックバンドのメンバーがTUKTUKに乗ってやってきた。小さなTUKTUKに5人も乗車し、その上、楽器まで乗せている。
TUKTUKからメンバーが降りてきた時は、「えっ?そんなにいたの?」と本当にびっくりしてしまった。彼らは学校から楽器を借りてきて、ボランティアで子どもたちの活動に参加してくれた学生。みんなが料理をしている間ずっと演奏を奏でてくれていた。
この活動には、年齢は4歳から上は多分60歳近くの人が参加していた。これだけバラバラな年齢層でも皆の想いは一緒だった。CODEがTSUNAMI発生後のスリランカの避難所で見たもの、『他からの支援物資に頼るのではなく、大人も子どもも一緒になって、自分たちで料理を作ろう。』という想い。まさにCODEが目指す「被災者の自立」へ向けた活動の一歩であると感じた。

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2006年01月25日

スリランカ防災「共育」プロジェクト現地レポート No.4

昨日メーリングリストで紹介し、ホームページにアップされている津波の絵についてですが、あの津波の絵はヒロさんが絵を描くように頼んだものではなく、自由なテーマのなかで子供のうち数人が描いたものだそうです。子どもたちが描いた絵にについて、ソーシャルワーカーとしてのヒロさんの視点で以下に解説していますので紹介します。津波の絵はホームページをご参照ください。
http://www.code-jp.org/ → スマトラ沖地震津波)

じつは私はどの段階で津波をテーマに絵を描いてもらうか、あるいは絵を描いてもらうように頼むことが適当か図りかねています。でも一番上の写真、よく見ると波のなかにたくさん木が浮かんでます。あれってあの場にいた人じゃないと描けない絵です。左下の丘らしきところから見ている人がいますね。両手を差し出して無力感を象徴しているように私には見えるわけです。描いた本人に詳しく聞いてみないと分かりませんが、年齢の低い子(10〜12歳)が描いた上の二枚に私は言葉にならない無力感を感じました。その一方で3枚目の絵は14歳の子が描いたものです。一目見ておかしいと思うのは逃げ惑う人間に顔がないこと。まだ津波が飲み込む前なので、そこには恐怖の表情があったはずなのですが、彼女はあえて顔ごと絵から削除しています。それは同時に彼女(女の子です)が、過去の痛ましい出来事から目をそむけようとしていることがうかがえます。それなのになぜ彼女はあえて津波の絵を描こうと思ったのか。私はそこに興味を覚えます。

二枚目の絵の上にあるのは太陽だと思いますが、津波の映像を何度も見ていながら、あの日燦々と陽が降り注いでいたことなんて覚えていませんでした。この絵を見て「そういえばあの日は晴れていたのだな」と思いました。絵の中にある人間や建物、木が実写に忠実に表現されているのに、なぜか太陽だけは抽象的に燃えているかのように描かれている。まず私だったらこの絵を描いた人にその日本当に太陽を見たのか聞いてみたいですね。黒で縁取りされオレンジ色を使って塗られた太陽は、まるで神の怒りを象徴しているかのようです。もしかしたらこの子は津波後、そのような話を大人に聞いたかもしれませんね。それは彼(男の子)なりに、津波を理解しようとする試みだったのかもしれません。

私はまだプロジェクトの立ち上げ中であり、もう少し時間と心に余裕ができてから津波に触れていきたいと思っています。絵を見て勝手に理解するのではなく、描いた当人にその意味を聞いてみたいです。また、津波をどのように大人たちに教えられたか。これは防災プロジェクトを組み立てていく上で、是非とも知っておかなければならないことだと思っています。この絵を描いた三人の子供には、それぞれ個別に話を聞いてみたいと思っています。

今後とも随時情報を提供していきますので、スリランカの子どもたちを日本から見守っていて下さい。よろしくお願いします。


スマトラ島沖地震津波救援募金にご協力下さい
 郵便振替:00930−0−330579 加入者名:CODE
 *通信欄に「スマトラ沖地震津波支援」と明記してください。募金全体の15%を上限として事務局運営・管理費に充てさせていただきます
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2006年01月23日

スリランカ防災「共育」プロジェクト現地レポート No.2

 津波被災者の中には、「あの時にもし救急法などを身につけていれば、死ななくてすんだだろう」と悔しがっている人たちもいます。その話を聞いて、ヒロさんは子どもたちに最低限の応急処置を学んで貰うことは意味があるだろうということで、地域に住む看護士あるいは医者を探し、手伝って貰う計画を持っています。スリランカにも赤十字はあるようだし救急救命チームもありますが、ヒロさんは敢えて地域住民に担って貰おうと考えています。というのも防災「共育」の対象は、主に小学校の低年齢層なので、むしろケガをしたらきれいの水で消毒すること、腐った物は食べない、泥水は飲んではいけないというような基本的なことを学んで貰うことが先決だという判断からです。
こうして小さな子どもといえども、可能な限り「自分の命は自分で守る」という自助が徹底されることで災害後の被害を軽減することの一助になるでしょう。ご存知の方もおられるでしょうが、日本の三陸地方に伝わっている「津波でんてんこ」という厳しい言い伝えを紹介します。

−津波てんでんこ−
 津波のときだけは、でんでばらばら、親子といえども人を頼りにせず、走れる子どもは一目散でにげろ。そして一家全滅、共倒れになることを防げ、という話です。
もちろん、てんでに走って逃げられない人について、普段から足の弱いお年寄りや弱者は、家族でだれが助けるか話し合っておく。家族で助けて逃げることができないときは、近隣で助けあうことを決めておく。地域の防災力は日頃の話し合いや助けあいによって高められる。ということです。

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2006年01月13日

2004.12.26 TSUNAMI 一年を終えて No. 4

関係者のみなさま、一昨年12月26日にTSUNAMI災害被災国の一つであるスリランカにおいて、現地カウンターパートナーであるスリランカ・YMCAとの連携で進めている防災教育プロジェクトには、新たに強力なパートナーとして通称「ヒロ」と呼んでいる滝田裕之さんが、昨年11月末から南部マータラで活動をしています。彼は、国連ボランティア計画(UNV)のインターナショナル・ボランティアとして、CODEがスリランカで行う防災教育のサポートをすることが任務となっています。機関は今年の12月までです。私とはこれまでメールやスカイプなどでやりとりをしていたのですが、昨年12月にスリランカ訪問をしたときに、はじめてお会いすることができました。

早速、彼がブログをつくられたので是非ご覧になって下さい。(http://blog.goo.ne.jp/unv_lk/)。また、彼から日本の支援者のみなさまにメッセージが届きましたので下記に紹介します。まだ着任して1ヶ月ほどですが、すでに精力的に活動しておられ、これまでもアメリカやカンボジアなどで子どものケアーをしてきておられることもあって、さすがにすばらしい視点と実践でもってマータラの子どもたちと接しています。彼の考え方や実践の一端を覗かせて頂くと、まさに「共育」という漢字がピッタリで、子どもが主役となった活動の大切さを意識されておられます。実は、彼は"マジシャン?"でもあるのですが、「相手を楽しませるには、自分が楽しまなければ!」といいながら、ほんとに楽しそうに演じてしる真顔は輝いています。
この1年間、度々このCODEのMLに彼が登場することになりますがよろしくお願い致します。(事務局 村井雅清)    

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 はじめまして。子供のための防災プロジェクトの国連ボランティアとして、昨年末よりスリランカ南部マータラに駐在している滝田裕之と申します。

マータラは人口約4万人、2004年の津波でおよそ1500人が亡くなりました。あれから一年以上が経ちますが、津波の残した傷跡は今でもあらゆる所で目にすることができます。この場所で現地YMCAのボランティアとともに、防災教育普及のため働いているのですが、その仕事は想像以上に難しいものです。防災教育という概念のないスリランカでは、まずボランティアに対して防災教育とは何かを教えなければなりません。中には「津波はもう二度と来ないのに、こんな教育を行う意義があるのか」と質問する人もいました。またYMCAが中心となっている活動のため、「これは教育に名を借りた宗教活動なのではないか」と不安に思う親も多くいます。そのたびに私は自分が国連ボランティアより派遣され、無神論者であること、また防災教育は津波に限定されないことを説明しています。

私はスリランカに来る前、アラスカ州の児童福祉局、日本でいう児童相談所でソーシャルワーカーとして働いていました。虐待を受けた子供たちと日々接してきたわけですが、その経験がどの程度この仕事に生かされるかは未知数です。ただ私はこの仕事における「知っているつもり」、「分かっているつもり」の怖さは知っています。私はスリランカ人にとって何がベストであるか分からないし、それは一年後も変わらないと思います。それはスリランカ人自身が見つけるべきことであり、私はそこへたどり着く過程を技術・精神面でサポートするのが仕事だと思っています。

「どうしたらいい?」と聞いてくるボランティアに、「どうしたらいい?」と聞き返す私は、スリランカ人にとって頼りない存在かもしれません。でもほとんどの場合、彼らはその答えを持っています。つい最近までカレーと紅茶ぐらいしかスリランカについて知らなかった私より、ずっとこの国の人や文化を知り、それに合ったやり方を知っています。

"Be the change you wish to see in the world." ---ガンジー
(世界に起こればいいと思う、まさにその変化にあなた自身がなりなさい)

私はこの一年、様々な「変化」を目の当たりにすることになると思います。そして、「お前の助けはもう必要ない」とスリランカ人に言われたとき、初めて自分の仕事の成功を知るのだと思います。
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2006年01月11日

イラン・バム地震より2年 パートII

 ほぼ施工業者の怠慢で工事がベタ遅れになっていた体育館が完成して3ヶ月になる。そもそもこの体育館は、いわゆるAHKKがバムで活動する拠点でもあり、地域のコミュニティー再建の拠点でもあることから通称「AHKKセンター」といわれている。これまでのニュースでも触れましたが、このセンターは空手教室などのスポーツ委員会、女性の自立活動を行う女性委員会、絵画教室などを行う芸術委員会、サィードなどの音楽委員会などとそれらをまとめる全体委員会で構成されている。それぞれは最低一つのコネックス(コンテナ)を確保し、活動の場としている。今後の大きな課題は財政的に自立できるかどうかと、バタニさんに続く強力なリーダーが育つかどうかにかかっている。バタニさんは地震以後テヘランでの本職(農業省職員)を休職し、バムに支援として入っていたがそろそろ復職を迫られている。きっと彼女は今相当悩んでいるだろうと推測する。

 その理由の一つに、バムのスタッフやAHKKのスタッフ、そしてバタニさんやサィードたちが今真剣に考えていることは、CODEのイランバージョンをつくろうということらしい。バタニさんの悩みの中には、その新たな活動の牽引者にならざるを得ないという現実との葛藤かも知れない。阪神・淡路大震災がきっかけに生まれたCODEだが、これまでにも活動を通してクワテモック(メキシコ)やSEEDSのマヌ(インド)とCODEの海外研究員が現れてきた。カウンターパートナーの中心がデリンジェ市という行政だったことが原因だろうが、トルコではまだNGOでは該当する人たちが育ちきっていない。ただ、トルコ地震以後誕生した「愛と望みのテント」を興した子どもたちはまだ、健在のようだ。しかも、KOBEの支援で建設された「市民文化教育センター(通称草地文化センター)」を利用しての活動が行われていると昨年12月のはじめに知人からの情報が入った。スリランカでもやがて生まれるだろう。確実に”支えあいの連鎖”は広がっている。”イラン版CODE”が生まれるのも時間の問題だろう。でも、バム再建の今後を考えると、もうしばらくバタニさんはバムのリーダーとしていて欲しい気がする。
          (事務局 村井雅清)

イラン地震救援募金にご協力下さい
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防災シンポジウム2006「安心できる学校、住まい、地域づくりを目指して」
日 時:2006年1月18日(水)9:30〜17:00
場 所:よみうり神戸ホール
参加費:無料(要予約)
申込先:UNCRD防災計画兵庫事務所
    http://www.hyogo.uncrd.or.jp
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【災害救援情報、セミナー情報は・・・】URL http://www.code-jp.org/
【災害から見える暮らしの情報は・・・】URL http://www.code-jp.org/wv/
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2006年01月10日

イラン・バム地震より2年パート1

 関係者のみなさま、支援者のみなさま!久しぶりにイラン・バムの状況をお伝えすることができます。といいますのは、昨年9月からイギリスのノーザンブリア大学に留学している元CODEスタッフの斉藤容子さんが、正月休みを利用してイランを訪問し、バムの様子をレポートしてくれました。あの懐かしい「容子のバム日記」は、彼女がブログをつくって発信していますので、そちらを見て頂くとして、このレポートは斉藤さんがCODEに送ってくれたものをまとめた形になります。イラン・バム地震3年目の「いま」の様子が伺えるかと思いますので、久しぶりの「容子のバム日記」(http://saitobamnikki2005.seesaa.net/ )と併せてご覧下さい。(事務局)

パート一?
(音楽教師養成プロジェクトについて)
 昨年1月、神戸にも来ていただいた音楽教師養成講師のサィードは、AHKKのプログラムとして新たに40名の受講生を募集しました。これまで同様、賑やかにリコーダーや木琴などを使っての音楽教室になりますが、楽しみなのはこれまでの受講生の中から一人の先生が幼稚園で教えることになったのです。さてどのような成果が披露できるでしょうか?

 ところでバム地震2年目の節目として、イラン国営テレビでAHKKのリーダーであるバタニさんや先のサィードがインタビューされ、その模様が放映されました。さらにビッグニュースは、首都テヘランでも大変有名な場所で子どもたちのコンサートが開かれ、500人以上の観客が集まりました。もちろんあの時以来KOBEで唱われ続けている「しあわせ運べるように」のペルシャ語バージョンも披露されました。

 イラン・バム地震が発生したのは、昨年のスマトラ沖地震津波災害が発生した12月26日と全く同じ日であったこともあって、イラン・バム地震から2年目であるということについては、もう日本のマスコミでもほとんど取り扱って頂けませんが、こうして現地ではKOBEとのさまざまな連携のもとで築かれた”絆”を、さらにイランの人たちに広げるように活発な活動が展開されています。

 今年の1月、つまり阪神・淡路大震災から10年という節目に、バタニさんもサィード君もこの被災地に来て下さいました。きっと二人は、バムの被災者の一人ひとりの思いを携え、KOBEの地で「痛みの共有」を実感し、また新たな決意の中でバムに戻られ、この1年を過ごしてきたことと思います。もちろん、CODEは今もバムの人たちを支援し続けています。明日は他の活動内容をレポートさせて頂きますが、是非引き続きご支援をお願い申し上げます。(事務局長 村井雅清)

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