2006年02月13日

スリランカ防災「共育」プロジェクト現地レポート NO.12

(クキさんレポート 5)

手作り黒板のボランティアリーダーの一人にYASAさんがいる。彼女を私は、「マータラ
肝っ玉母さ
ん」と秘かに呼んでいる。彼女を見ていると、一つのグループに留まるのではな
く、全部のグループに顔をだしては、そっと、他のボランティアリーダーの手助けをして
いる。この、「そっと」が彼女を肝っ玉母さんと呼んでいる由縁である。彼女
は、例の『手作り黒板』が作られた村のボランティアリーダーであるのだが、今回も彼
女自らの意志で、ボランティアとして来て下さった。ボランティアが他の村でボランティアす
る。ボランティアのネットワークが創られていく。この「マータラ肝っ玉母さん」が多くの子ど
も(ボランティア)を育てていく」それも、『そっと』目立たずに育てていく。で
も、『そっと』は、大きな音になり、その音がやがては、『平和の鐘』のよう
に、マータラに、スリランカに鳴り響くと思う。それを鳴らすのは、ここ、スリランカの人々
一人ひとりだと思う。そして、私がスリランカを去る時に、この鐘を私も鳴らしたい
と思う。

CODE海外災害援助市民センター
e-mail:info@code-jp.org 
  URL http://www.code-jp.org/

posted by ngokobe at 10:56| 兵庫 ☀| 海外の被災地から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月09日

スリランカ防災「共育」プロジェクト現地レポート NO.10

(クキさんレポート 4)

スリランカの人は本当に、ダンスや歌が大好きなのが、プログラムに参加するたびに感じる。子どものみならず大人も一緒になって楽しんでいる。そして彼らの目はダイヤモンド以上に輝いている。その目が私たちをも輝かしてくれる。こうゆうことが「喜びの連鎖」であったり、「喜びの共有」なのかもしれない。日本人が忘れてしまっている、彼らの目の輝きを、笑顔を、私自身が彼らから学び、日本に持ち帰りたいと思う。
女の子によるダンスが披露された。ヒロとつい笑ってしまった。最年少の一番小さな、小さな女の子が、一番大きな赤ちゃん人形を落とさないように、必死になって踊っていたからだ。(写真参照)どの赤ちゃん人形をどの子どもが持つのかを誰が決めたのかは知らないが、仮にその子どもが決めたとしても、日本なら大人が小さいのに変えるであろうと思う。

  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
CODE海外災害援助市民センター
e-mail:info@code-jp.org 
  URL http://www.code-jp.org/

posted by ngokobe at 18:52| 兵庫 ☀| 海外の被災地から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月07日

スリランカ防災「共育」プロジェクト現地レポート NO.9

(クキさんレポート 3)

今回の「防災共育」プロジェクトの最大の目的は、「子どもたちが楽しく防災を学ぶ」ことにある。そしてその活動を支えるのが地元のボランティアである。スリランカで当たり前となっている日常的な「ボランタリーな生活」を、地域の中だけでなく、スリランカ全土に向けて、更には世界に向けて「ボランタリーな活動」へと広がるとき、この「防災共育」が平和の足音をも運んでくるのではないだろうか。そしてその活動を黒子に徹して見守るのが私たちの役目だと思う。ある子どもが私に言った言葉を思いだす。「僕がするから、あなたは見ていて。」そう、その子は私とジャガイモの皮をむいていた。
最後に、クッキングアクティビティーでの料理は全てのディッシュが美味だった!日本チームの『天ぷら』は、臭いエビの皮むきにも子どもたちは耐え、見事なスリランカ風『天ぷら』ができ、とても好評だった。最後のイカ料理が仕上がった直後に雨が降りだした。グットタイミング。そして中で食事をし終わる頃、かたづけが始まる頃に雨が上がった。あまりのグットタイミングさに、日頃の行いが良いからだろうなと自分を褒めてみた。こんな事を考えていたのは私だけであろうが。
UNDPの方が、食事している子どもの写真を取り忘れたが、クキは撮った?と聞いてきた。ボランティアリーダーらが、幼い子どもたちを先に食べさせるため、給仕にいそしんでいた頃、私は自分の食事をすることに夢中になり、すっかり写真をとるのを忘れていた。反省、反省。
ボランティアリーダーらは、何回も何回も子どもたちに「お腹一杯になった?まだいる?」と聞き、水を注ぎ、5つ星のホテルでも、あれだけのサービスは受けられないと思うほどの給仕ぶりを発揮していた。そしてホテルのサービスにはない、『愛情』と『思いやり』という最大の武器でもって子どもたちに接していた姿は何よりも美しいと思った。

(事務局より)
ヒロさんこと、滝田さんのレポートで手作りの黒板の話しをお伝えしましたが、やっと完成したようです。この完成版を見たクキさんの感想を以下に紹介します。

−−手作りの黒板の完成版を見ることができた。見事としか言いようがない程の出来栄えである。これが村長宅の家のドアであると聞かされた時、村長宅のどの部屋の扉が使われたのだろうかと、つい家の中をジロジロと見つめて探してしまった。家の扉まで提供して、このプロジェクトを支えてくれるというのは、本気でなければなかなかそこまではしないだろう。
『彼らが必要としているものが、けして彼らが本当に必要であるものであるとは限らない』と、ヒロが言っていた。これは、私たちが気をつけなければいけないことである。物資を配ることは簡単なことである。彼らが聞いてきたから、それが必要であると思い、その物を提供する。私たちは、彼らが、聞いてきたのだから、それを渡したのだから、彼らのニーズにあった支援であると言う。しかし、その配られた物を、彼らが、村長宅に飾られている(この表現がぴったりなくらいに大事に、大事にしていた)黒板のように、大切に使っているだろうか。漁業用の網を作る機械がスリランカのあちらこちらで配られた。どの家庭にも余る程の機械が持ち込まれた。そして、今は埃を被って家の何処かに放置されている。
この黒板には、黒板消しが付いていた。黒板消しがほしいと言う子どもに、ヒロは「黒板消しがほしいなら、それも創ればいいじゃないか」と、又もやもちかけたらしい。そして、本当に、本当に、鳥肌がたつくらい見事な「手作り黒板消し」が完成していた。それを見たヒロは、「やれば何でも出来るじゃん!」と子どもに何気なく言っていたが、彼の目は赤くなっていた。そして何回も黒板に何か文字を書いては消し、書いては消しを繰り返していた。その光景を見ていて、私の目も赤くなってしまった。そして最後に、その黒板の裏が、立てかけられるように一本の棒が付けられていたのを発見したヒロは、今まで見たことのない最高の笑顔で、「GOOOOOD!」と、子どもに言った。子どもは照れながらも自信満々の笑みを浮かべていた。−−

  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
CODE海外災害援助市民センター
e-mail:info@code-jp.org 
  URL http://www.code-jp.org/

posted by ngokobe at 10:52| 兵庫 ☀| 海外の被災地から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月06日

スリランカ防災「共育」プロジェクト現地レポート NO.8

<クキさんレポート2>
『ボランティアをするというのは何なのか?』こんな質問が頭をよぎった一日でもあった。先日、こちらのボランティアの子どもたちに「なぜボランティアをしようと思ったのか、土曜日、日曜日を自分たちの時間を削ってでもボランティア活動をしようと思った理由は何なのか?」と、UNDPの方が聞いたことがあった。大人に聞いてもなかなか答えられない難しい質問である。子どもたちも少々戸惑っていたように感じられたが、「歌が好きだから。」、「ちいさい子どもが好きだから。」、「踊りが好きだから。」等があがった。多分、質問者の期待していた答えと若干違ったかもしれないが、これが正直な彼らの気持ちであり、それ以上でも以下でもないと思う。ボランティアという観念?は、西洋から持ち込まれたものであり、彼らの地域で、隣の家が隣の家の子守をするのは日常生活に組み込まれている。困った時に手を差し伸べるのも当たり前のことであり、支えあい、助けあい自体が自然になされているのではないかと感じる。それが「ボランティアなのですよ。」と言ったところで、この言葉は後から作られたもので、元々から彼らの中にあるものだと感じる。ボランティアをしようと思った理由など本当は、ないのだろう。そう思うと、以前から考えている、『人間は元々ボランティアとして生まれている。』ということが、しっくりくる。物がなければないほど、足りなければ足りないほど、このボランティアという人間の生まれてもっている本質が発揮?されるのではないか。だから、あの KOBEの震災の時、何もかも失ってしまって、皆がボランタリーな活動を自然と、何も考えずにできたのでないかと思う。

CODE海外災害援助市民センター
  URL http://www.code-jp.org/

posted by ngokobe at 10:44| 兵庫 ☀| 海外の被災地から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月05日

スリランカ防災「共育」プロジェクト 現地レポートNO.7

1月20日に、UNVボランティアとして、スリランカに着任した濱田久紀さんがUNVのオリエンテーションも終わり、とりあえず先に赴任している滝田(ヒロさん)さんの活動するマータラに入りました。しばらくマータラのホテル住まいになろうかと思いますが、何とかインターネットをつなぎ、やっとスリランカ発第1報のメールが届きましたので数回に分けて紹介します。ヒロさんのレポートもあるので、棲み分けしないと混乱しますがとりあえず単純に<クキさんからのレポート>とします。
以下は、マータラに赴任して最初のプログラムとなった野外料理教室(日本料理、スパニッシュ料理、スリランカ料理)に参加しての感想です。

<クキさんからのレポート1>
初めてTalallaの子どもたちによるプロジェクトに参加した。私たちが到着する頃には、既に子どもたちは集まっており、飾りつけをはじめていた。子どもたちなりに好きな様に飾りをしていく。UNから風船のプレゼントがあった。それを面白そうに膨らましては、膨らましすぎて割れてしまって大笑い。こちらまで笑ってしまう。ヒロが「小さく、小さく膨らましましょう!」とアドバイスする。しかし、暑さの為なのか、膨らましすぎなのか、数個の風船が割れてしまった。子どもたちは、そんなことはお構いなしでとにかく作業を楽しんでいた。風船が割れて気にするのは大人だけであろう。
暫くすると、ミュージックバンドのメンバーがTUKTUKに乗ってやってきた。小さなTUKTUKに5人も乗車し、その上、楽器まで乗せている。
TUKTUKからメンバーが降りてきた時は、「えっ?そんなにいたの?」と本当にびっくりしてしまった。彼らは学校から楽器を借りてきて、ボランティアで子どもたちの活動に参加してくれた学生。みんなが料理をしている間ずっと演奏を奏でてくれていた。
この活動には、年齢は4歳から上は多分60歳近くの人が参加していた。これだけバラバラな年齢層でも皆の想いは一緒だった。CODEがTSUNAMI発生後のスリランカの避難所で見たもの、『他からの支援物資に頼るのではなく、大人も子どもも一緒になって、自分たちで料理を作ろう。』という想い。まさにCODEが目指す「被災者の自立」へ向けた活動の一歩であると感じた。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
e-mail:info@code-jp.org 
  URL http://www.code-jp.org/

posted by ngokobe at 17:42| 兵庫 ☀| 海外の被災地から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月25日

スリランカ防災「共育」プロジェクト現地レポート No.4

昨日メーリングリストで紹介し、ホームページにアップされている津波の絵についてですが、あの津波の絵はヒロさんが絵を描くように頼んだものではなく、自由なテーマのなかで子供のうち数人が描いたものだそうです。子どもたちが描いた絵にについて、ソーシャルワーカーとしてのヒロさんの視点で以下に解説していますので紹介します。津波の絵はホームページをご参照ください。
http://www.code-jp.org/ → スマトラ沖地震津波)

じつは私はどの段階で津波をテーマに絵を描いてもらうか、あるいは絵を描いてもらうように頼むことが適当か図りかねています。でも一番上の写真、よく見ると波のなかにたくさん木が浮かんでます。あれってあの場にいた人じゃないと描けない絵です。左下の丘らしきところから見ている人がいますね。両手を差し出して無力感を象徴しているように私には見えるわけです。描いた本人に詳しく聞いてみないと分かりませんが、年齢の低い子(10〜12歳)が描いた上の二枚に私は言葉にならない無力感を感じました。その一方で3枚目の絵は14歳の子が描いたものです。一目見ておかしいと思うのは逃げ惑う人間に顔がないこと。まだ津波が飲み込む前なので、そこには恐怖の表情があったはずなのですが、彼女はあえて顔ごと絵から削除しています。それは同時に彼女(女の子です)が、過去の痛ましい出来事から目をそむけようとしていることがうかがえます。それなのになぜ彼女はあえて津波の絵を描こうと思ったのか。私はそこに興味を覚えます。

二枚目の絵の上にあるのは太陽だと思いますが、津波の映像を何度も見ていながら、あの日燦々と陽が降り注いでいたことなんて覚えていませんでした。この絵を見て「そういえばあの日は晴れていたのだな」と思いました。絵の中にある人間や建物、木が実写に忠実に表現されているのに、なぜか太陽だけは抽象的に燃えているかのように描かれている。まず私だったらこの絵を描いた人にその日本当に太陽を見たのか聞いてみたいですね。黒で縁取りされオレンジ色を使って塗られた太陽は、まるで神の怒りを象徴しているかのようです。もしかしたらこの子は津波後、そのような話を大人に聞いたかもしれませんね。それは彼(男の子)なりに、津波を理解しようとする試みだったのかもしれません。

私はまだプロジェクトの立ち上げ中であり、もう少し時間と心に余裕ができてから津波に触れていきたいと思っています。絵を見て勝手に理解するのではなく、描いた当人にその意味を聞いてみたいです。また、津波をどのように大人たちに教えられたか。これは防災プロジェクトを組み立てていく上で、是非とも知っておかなければならないことだと思っています。この絵を描いた三人の子供には、それぞれ個別に話を聞いてみたいと思っています。

今後とも随時情報を提供していきますので、スリランカの子どもたちを日本から見守っていて下さい。よろしくお願いします。


スマトラ島沖地震津波救援募金にご協力下さい
 郵便振替:00930−0−330579 加入者名:CODE
 *通信欄に「スマトラ沖地震津波支援」と明記してください。募金全体の15%を上限として事務局運営・管理費に充てさせていただきます
  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
CODE海外災害援助市民センター
〒652-0801 神戸市兵庫区中道通 2-1-10
tel +81(0)78-578-7744 fax +81(0)78-574-0702
e-mail:info@code-jp.org  URL http://www.code-jp.org/
posted by ngokobe at 11:23| 兵庫 ☁| 海外の被災地から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月23日

スリランカ防災「共育」プロジェクト現地レポート No.2

 津波被災者の中には、「あの時にもし救急法などを身につけていれば、死ななくてすんだだろう」と悔しがっている人たちもいます。その話を聞いて、ヒロさんは子どもたちに最低限の応急処置を学んで貰うことは意味があるだろうということで、地域に住む看護士あるいは医者を探し、手伝って貰う計画を持っています。スリランカにも赤十字はあるようだし救急救命チームもありますが、ヒロさんは敢えて地域住民に担って貰おうと考えています。というのも防災「共育」の対象は、主に小学校の低年齢層なので、むしろケガをしたらきれいの水で消毒すること、腐った物は食べない、泥水は飲んではいけないというような基本的なことを学んで貰うことが先決だという判断からです。
こうして小さな子どもといえども、可能な限り「自分の命は自分で守る」という自助が徹底されることで災害後の被害を軽減することの一助になるでしょう。ご存知の方もおられるでしょうが、日本の三陸地方に伝わっている「津波でんてんこ」という厳しい言い伝えを紹介します。

−津波てんでんこ−
 津波のときだけは、でんでばらばら、親子といえども人を頼りにせず、走れる子どもは一目散でにげろ。そして一家全滅、共倒れになることを防げ、という話です。
もちろん、てんでに走って逃げられない人について、普段から足の弱いお年寄りや弱者は、家族でだれが助けるか話し合っておく。家族で助けて逃げることができないときは、近隣で助けあうことを決めておく。地域の防災力は日頃の話し合いや助けあいによって高められる。ということです。

スマトラ島沖地震津波救援募金にご協力下さい
 郵便振替:00930−0−330579 加入者名:CODE
 *通信欄に「スマトラ沖地震津波支援」と明記してください。
募金全体の15%を上限として事務局運営・管理費に充てさせていただきます
  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
CODE海外災害援助市民センター
〒652-0801 神戸市兵庫区中道通 2-1-10
tel +81(0)78-578-7744 fax +81(0)78-574-0702
e-mail:info@code-jp.org  URL http://www.code-jp.org/
posted by ngokobe at 10:42| 兵庫 ☁| 海外の被災地から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月13日

2004.12.26 TSUNAMI 一年を終えて No. 4

関係者のみなさま、一昨年12月26日にTSUNAMI災害被災国の一つであるスリランカにおいて、現地カウンターパートナーであるスリランカ・YMCAとの連携で進めている防災教育プロジェクトには、新たに強力なパートナーとして通称「ヒロ」と呼んでいる滝田裕之さんが、昨年11月末から南部マータラで活動をしています。彼は、国連ボランティア計画(UNV)のインターナショナル・ボランティアとして、CODEがスリランカで行う防災教育のサポートをすることが任務となっています。機関は今年の12月までです。私とはこれまでメールやスカイプなどでやりとりをしていたのですが、昨年12月にスリランカ訪問をしたときに、はじめてお会いすることができました。

早速、彼がブログをつくられたので是非ご覧になって下さい。(http://blog.goo.ne.jp/unv_lk/)。また、彼から日本の支援者のみなさまにメッセージが届きましたので下記に紹介します。まだ着任して1ヶ月ほどですが、すでに精力的に活動しておられ、これまでもアメリカやカンボジアなどで子どものケアーをしてきておられることもあって、さすがにすばらしい視点と実践でもってマータラの子どもたちと接しています。彼の考え方や実践の一端を覗かせて頂くと、まさに「共育」という漢字がピッタリで、子どもが主役となった活動の大切さを意識されておられます。実は、彼は"マジシャン?"でもあるのですが、「相手を楽しませるには、自分が楽しまなければ!」といいながら、ほんとに楽しそうに演じてしる真顔は輝いています。
この1年間、度々このCODEのMLに彼が登場することになりますがよろしくお願い致します。(事務局 村井雅清)    

-----------------------
 はじめまして。子供のための防災プロジェクトの国連ボランティアとして、昨年末よりスリランカ南部マータラに駐在している滝田裕之と申します。

マータラは人口約4万人、2004年の津波でおよそ1500人が亡くなりました。あれから一年以上が経ちますが、津波の残した傷跡は今でもあらゆる所で目にすることができます。この場所で現地YMCAのボランティアとともに、防災教育普及のため働いているのですが、その仕事は想像以上に難しいものです。防災教育という概念のないスリランカでは、まずボランティアに対して防災教育とは何かを教えなければなりません。中には「津波はもう二度と来ないのに、こんな教育を行う意義があるのか」と質問する人もいました。またYMCAが中心となっている活動のため、「これは教育に名を借りた宗教活動なのではないか」と不安に思う親も多くいます。そのたびに私は自分が国連ボランティアより派遣され、無神論者であること、また防災教育は津波に限定されないことを説明しています。

私はスリランカに来る前、アラスカ州の児童福祉局、日本でいう児童相談所でソーシャルワーカーとして働いていました。虐待を受けた子供たちと日々接してきたわけですが、その経験がどの程度この仕事に生かされるかは未知数です。ただ私はこの仕事における「知っているつもり」、「分かっているつもり」の怖さは知っています。私はスリランカ人にとって何がベストであるか分からないし、それは一年後も変わらないと思います。それはスリランカ人自身が見つけるべきことであり、私はそこへたどり着く過程を技術・精神面でサポートするのが仕事だと思っています。

「どうしたらいい?」と聞いてくるボランティアに、「どうしたらいい?」と聞き返す私は、スリランカ人にとって頼りない存在かもしれません。でもほとんどの場合、彼らはその答えを持っています。つい最近までカレーと紅茶ぐらいしかスリランカについて知らなかった私より、ずっとこの国の人や文化を知り、それに合ったやり方を知っています。

"Be the change you wish to see in the world." ---ガンジー
(世界に起こればいいと思う、まさにその変化にあなた自身がなりなさい)

私はこの一年、様々な「変化」を目の当たりにすることになると思います。そして、「お前の助けはもう必要ない」とスリランカ人に言われたとき、初めて自分の仕事の成功を知るのだと思います。
posted by ngokobe at 09:58| 兵庫 ☁| 海外の被災地から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月11日

イラン・バム地震より2年 パートII

 ほぼ施工業者の怠慢で工事がベタ遅れになっていた体育館が完成して3ヶ月になる。そもそもこの体育館は、いわゆるAHKKがバムで活動する拠点でもあり、地域のコミュニティー再建の拠点でもあることから通称「AHKKセンター」といわれている。これまでのニュースでも触れましたが、このセンターは空手教室などのスポーツ委員会、女性の自立活動を行う女性委員会、絵画教室などを行う芸術委員会、サィードなどの音楽委員会などとそれらをまとめる全体委員会で構成されている。それぞれは最低一つのコネックス(コンテナ)を確保し、活動の場としている。今後の大きな課題は財政的に自立できるかどうかと、バタニさんに続く強力なリーダーが育つかどうかにかかっている。バタニさんは地震以後テヘランでの本職(農業省職員)を休職し、バムに支援として入っていたがそろそろ復職を迫られている。きっと彼女は今相当悩んでいるだろうと推測する。

 その理由の一つに、バムのスタッフやAHKKのスタッフ、そしてバタニさんやサィードたちが今真剣に考えていることは、CODEのイランバージョンをつくろうということらしい。バタニさんの悩みの中には、その新たな活動の牽引者にならざるを得ないという現実との葛藤かも知れない。阪神・淡路大震災がきっかけに生まれたCODEだが、これまでにも活動を通してクワテモック(メキシコ)やSEEDSのマヌ(インド)とCODEの海外研究員が現れてきた。カウンターパートナーの中心がデリンジェ市という行政だったことが原因だろうが、トルコではまだNGOでは該当する人たちが育ちきっていない。ただ、トルコ地震以後誕生した「愛と望みのテント」を興した子どもたちはまだ、健在のようだ。しかも、KOBEの支援で建設された「市民文化教育センター(通称草地文化センター)」を利用しての活動が行われていると昨年12月のはじめに知人からの情報が入った。スリランカでもやがて生まれるだろう。確実に”支えあいの連鎖”は広がっている。”イラン版CODE”が生まれるのも時間の問題だろう。でも、バム再建の今後を考えると、もうしばらくバタニさんはバムのリーダーとしていて欲しい気がする。
          (事務局 村井雅清)

イラン地震救援募金にご協力下さい
 郵便振替:00930−0−330579 加入者名:CODE
 *通信欄に「イラン支援」と明記してください。
募金全体の15%を上限として事務局運営・管理費に充てさせていただきます

防災シンポジウム2006「安心できる学校、住まい、地域づくりを目指して」
日 時:2006年1月18日(水)9:30〜17:00
場 所:よみうり神戸ホール
参加費:無料(要予約)
申込先:UNCRD防災計画兵庫事務所
    http://www.hyogo.uncrd.or.jp
  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
CODE海外災害援助市民センター
〒652-0801 神戸市兵庫区中道通 2-1-10
tel +81(0)78-578-7744 fax +81(0)78-574-0702
e-mail:info@code-jp.org 
【災害救援情報、セミナー情報は・・・】URL http://www.code-jp.org/
【災害から見える暮らしの情報は・・・】URL http://www.code-jp.org/wv/
posted by ngokobe at 14:22| 兵庫 🌁| 海外の被災地から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月10日

イラン・バム地震より2年パート1

 関係者のみなさま、支援者のみなさま!久しぶりにイラン・バムの状況をお伝えすることができます。といいますのは、昨年9月からイギリスのノーザンブリア大学に留学している元CODEスタッフの斉藤容子さんが、正月休みを利用してイランを訪問し、バムの様子をレポートしてくれました。あの懐かしい「容子のバム日記」は、彼女がブログをつくって発信していますので、そちらを見て頂くとして、このレポートは斉藤さんがCODEに送ってくれたものをまとめた形になります。イラン・バム地震3年目の「いま」の様子が伺えるかと思いますので、久しぶりの「容子のバム日記」(http://saitobamnikki2005.seesaa.net/ )と併せてご覧下さい。(事務局)

パート一?
(音楽教師養成プロジェクトについて)
 昨年1月、神戸にも来ていただいた音楽教師養成講師のサィードは、AHKKのプログラムとして新たに40名の受講生を募集しました。これまで同様、賑やかにリコーダーや木琴などを使っての音楽教室になりますが、楽しみなのはこれまでの受講生の中から一人の先生が幼稚園で教えることになったのです。さてどのような成果が披露できるでしょうか?

 ところでバム地震2年目の節目として、イラン国営テレビでAHKKのリーダーであるバタニさんや先のサィードがインタビューされ、その模様が放映されました。さらにビッグニュースは、首都テヘランでも大変有名な場所で子どもたちのコンサートが開かれ、500人以上の観客が集まりました。もちろんあの時以来KOBEで唱われ続けている「しあわせ運べるように」のペルシャ語バージョンも披露されました。

 イラン・バム地震が発生したのは、昨年のスマトラ沖地震津波災害が発生した12月26日と全く同じ日であったこともあって、イラン・バム地震から2年目であるということについては、もう日本のマスコミでもほとんど取り扱って頂けませんが、こうして現地ではKOBEとのさまざまな連携のもとで築かれた”絆”を、さらにイランの人たちに広げるように活発な活動が展開されています。

 今年の1月、つまり阪神・淡路大震災から10年という節目に、バタニさんもサィード君もこの被災地に来て下さいました。きっと二人は、バムの被災者の一人ひとりの思いを携え、KOBEの地で「痛みの共有」を実感し、また新たな決意の中でバムに戻られ、この1年を過ごしてきたことと思います。もちろん、CODEは今もバムの人たちを支援し続けています。明日は他の活動内容をレポートさせて頂きますが、是非引き続きご支援をお願い申し上げます。(事務局長 村井雅清)

イラン地震救援募金にご協力下さい
 郵便振替:00930−0−330579 加入者名:CODE
 *通信欄に「イラン支援」と明記してください。
募金全体の15%を上限として事務局運営・管理費に充てさせていただきます
posted by ngokobe at 18:19| 兵庫 🌁| 海外の被災地から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月05日

パキスタン第 1 次調査レポートNo.1

大変遅くなりましたが、11/25〜12/5のパキスタン第1次調査に通訳として同行したCODEのアルバイトスタッフ岡本千明(大学生)のレポートを数回に分けてお送りします。

「大切なのは、土地の文化こそがその土地で最適なやり方を実践してきたのだからそれを尊重して活かし、そこに住む人たちの知恵を使って人々自身が復興してゆくということだということを教わりました。村で話した人々にとってもCODEのこのスタンスは印象的だったようで、話し合いが終わった後にも関心を示してくれた人がいました。これは、土地の文化を利用するのが効率的で有機的だからプロジェクトが成功しやすいという手段としての意味だけではなく、それがコミュニティの自信につながったり、力関係を調整して自立を促したり、支援者側の価値観に一元化せず多様性を守ることにもなるのです。」という彼女の(被災地)初体験を読んで下さい。

-------
<バラコット>
被災が最も大きかった街バラコットの様子です。拠点としたマンセラという街からバラコットへの途上はのどかです。一面の段々畑に土屋根の家が点在し、子どもが遊び、女性が洗濯をしています。燃料用の家畜の糞を薄く丸い形に伸ばして干してあります。時折水瓶を頭に担いだ女性が通ります。羊の群れを連れた牧人ともすれ違います。しかしバラコットの市街地が近づくにつれて、モノクロ写真を見ているかのように色が失われます。一面瓦礫の灰色です。壊れていない建物はないと言ってよいほど破壊しつくされています。瓦礫を見ると何かが当たって砕け散ったようですが、「一枚」の壁が粉々になったというのではなく、もともと平たい石やれんがを積み上げてモルタルを塗っただけなのでそのひとつひとつがばらばらになっているのです。そこにかつて何があったか、外部者が想像するに足る面影はありません。

けれども当然のことですが、人々の暮らしはずっと続いています。壊れたモスクに入れ替わり立ち代り男性が礼拝に訪れます。なお信仰の中心なのです。瓦礫のなかですでに八百屋が営業しており、夕食の材料を求めてか、女の人が買い物に来ていました。テントでも自炊ができるようです。その他にも小売店がスナックやジュースを売っています。チャイ(ミルクティー)や、パコラと呼ばれる揚げ芋など軽食を出す屋台もあります。それらは男性で賑わっています。テントばかりのなか、木で家の骨組みを作っている家族を見かけることもあります。屋根型(三角形)や箱形に木を組んで、トタンを張り、自分で仮設住宅を作っているのです。

一面に道を塞ぐ瓦礫を踏み分けて少し開けたテントの集落にたどり着きました。男性と、1歳にならないほどの赤ちゃんが椅子に座っており、話しかけると中を見せてくれました。台所用と寝室用のテントの他に、木とトタンで作った1.5m四方ほどの小屋があり、奥さんが薪で火を炊き食事を準備していました。奥さんは震災でけがをして、腕が痛いのだと教えてくれました。最初はしみかと思ったのですが、顔にも傷を負っていたのでした。気にしているようで2、3度顔の傷のことを言っていました。夜寒いので困っていると言います。彼女は主婦で、家事以外に仕事はしていません。学校には行かなかったそうです。しだいにうちとけてくれてチャイを勧めてくれました。ここでは親戚一同が寄り添って住んでいます。学校の先生をしているムニルさんは、日本の支援に感謝しており、それを日本に伝えて欲しいと言いました。ラジャ・ウィコス君(20歳)は、全壊した彼の家へ案内してくれました。彼のお兄さんは足を怪我して今歩くことができず、テントでベッドに寝ています。お兄さんの奥さんと子ども3人は亡くなりました。

ナディ・ムーシャさん(35歳)が話を聞かせてくれました。この辺りはガラット村というらしく、人口1万人ほどだったが800人ほどが亡くなったと言います。また、ムニルさんによると、川の上流のナラーン、カガーンという街の人たちがバラコットに下りて来ているそうです。イスラマバードなど大都市に行ってしまった人も多く、つまりそこにいる人がもともとの土地の人ではないという現象が起きています。なんでも、ナラーン、カガーンはパキスタンのスイスと呼ばれる美しいところで、その入り口であるバラコットも観光業がさかんだったようです。これを聞いて後日、上流の方の状況を見るためにカガーンまで行ってみることにしました。しかし途中、道が崖崩れで埋まっていてそれ以上先へは進めませんでした。雨などにより地盤がゆるんでいるので、このような二次的な被害も出ているようです。

市街地から車で5分ほど山手の方へ向かいました。収穫後のトウモロコシ畑をテント村にしています。地元の人ばかりでなく、周辺の山からも下りてきた人もいます。車から降りるやいなや手招きしてくれた女性がいたので近づくと、こんにちはも言うか言わないかのうちに私をぎゅうとすごくきつく抱きしめ、よく来たよく来た、というふうにテントへ招き入れてくれました。この家では親戚どうし50名ほどが7つのテントで暮らしています。つぶれた家がそのすぐ横にあります。男性たちはエンジニアやドライバーをしています。山羊と鶏を飼っていますが、ミルクや卵はその量からして自家消費用のようです。子どもはみな学校に通っていましたが、年長の女性では教育を受けていない人もいます。私が去ろうとすると、「え、行くの…」という期待はずれの空気が漂ったような気がしました。何かをくれるのだろう、提案をするのだろうという期待があったのかもしれません。ひとりの男性のあきれたような視線に居心地が悪く、思うことがあれば教えて欲しいと言うと、「どのような形で助けてくれるのか」と訊かれました。CODEの中長期的な支援の理念を話したけれど、あまりわかってもらえたようではありませんでした。

「パキスタン北東部地震」救援募金にご協力下さい
 郵便振替:00930−0−330579 加入者名:CODE
 *通信欄に「パキスタン地震」と明記してください。
募金全体の15%を上限として事務局運営・管理費に充てさせていただきます
posted by ngokobe at 17:17| 兵庫 🌁| 海外の被災地から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月30日

2004.12.26 TSUNAMI 一年を終えて

CODE海外災害援助市民センター
事務局長 村井雅清

12月22日から28日までの駆け足で、3度目のスリランカ訪問をしてきました。当初の目的は、津波以後の支援プロジェクトの一つとして南部および東部で行っている防災教育の進捗状況をモニターすることだったのですが、そのことに加えてやはり「2004・12・26TSUNAMI」から一年という節目と重なったこともあって、悲しみを共有しつつ、またすばらしい出会いがあり、感動のひとときを過ごさせて頂きました。防災教育についてはまた別の機会に詳細に触れます。

ここでは、この間ご支援を下さったみなさまに、スリランカ南部マータラ県ディクワラ(DIKWELLA)漁村のコミィニティセンターで行われた「津波一年ミーティング(1st.commemoration of tsunami tragedy of Sli Lanka )」の模様をお伝えしたいと思います。会場内では、正面舞台になるところに横断幕が張られ、その右横に高さ2?余り、幅1・5?くらいのモニュメント(発砲スチロール製)が設置されていました。そのモニュメントの前には献灯、献花ができるように海岸の岩場を想定した台を作っています。左側にはこの地域の仏教儀式なのか、しんちゅう製の高さ3?くらいの仏具が立ててあり、そこにローソクを灯すというしかけになっています。

津波の犠牲者に対して、津波被害のあった午前9時20分から2分間の黙祷を捧げ、まず主催者の漁業組合長や女性自立プロジェクトのリーダーなどの挨拶がありました。続いてゲストとして地域で平和運動をしているNGO代表や地域での教育活動をしているメンバーからの挨拶があり、さらには愛知県知多郡美浜町布土小学校で生まれた防災ソング「お・は・し・も」の編曲マータラ版が、隣村の子どもたちによって披露され、最後にCODE海外災害援助市民センターを通しての被災地KOBEや日本のみなさまからの支援の紹介がされました。このセレモニーには約100人の住民が参列され、感動の二時間を現地の被災者や関係者と共有することができました。会場では、遺族の方がずっとハンカチで涙を拭いておられる方や津波の直前に誕生した一歳の赤ちゃんを抱いたお母さんや子どもたちも参加していました。

被災地KOBEの私たちとして最もこみ上げるものがあったのは、阪神・淡路大震災以来KOBEの被災者が造り続けてきた「まけないぞう」というタオルを象の形につくった壁掛けを、こちらのモニュメントに掛けさせて貰ったときです。あとで触れますがこのモニュメントは作品としてもとてもすばらしいもので、「まけないぞう」をここに掛けるつもりはなかったのです。私のスピーチを終わったあとにどこに掛けさせて貰おうかと迷っていたときに、主催者がそのモニュメントの真ん中に飾ってくれた瞬間に、期せずして会場から大きな拍手が沸き起こったのです。阪神・淡路大震災から11年、この間私たちは「痛みの共有」や「支えあいは国境を越える」というメッセージを発信し続けてきました。この拍手が沸き起こった瞬間に、これらのことが”つながったんだ!”と体感したのです。

最後に挨拶された女性リーダーは、次のように力強くいっておられました。「もう私たちには、物やお金の支援はいらないのです。勇気を下さい!」と。この主催者であるUFFC(漁業協同組合)は、日本のみなさまによる支援で組合をつくり再建活動を続けていますが、組合内に漁民の女性支援プロジェクトも立ち上げています。セレモニーが終わったあと、その彼女たちは私と同行した濱田久紀を取り囲むようにして、「私たちも防災教育をやりたい。まけないぞうのようなクラフトもつくりたい。」と訴えていたのが、印象的でした。私のスピーチでも強調したのは、「私たちが女性を支援するのは、女性が弱いからではありません。強いからです。一人の女性を支援すれば、その女性は一人で二人、三人の子どもを助けます。さらに高齢者も助けます。だから強いのです。」ということでした。あらためて女性の奥深い力強さを感じた次第です。

最後に、このすばらしいモニュメントというのは、津波に立ち向かうように上半身裸身になった男女が手をつなぎ、天に力強く突き上げている姿を炭で描いた作品なのです。漁師の息子さんが描かれたそうですが、ほんとにすばらしいモニュメントでした。「CODEという意味には、災害に立ち向かう市民たちという意味があります。」と説明をさせて頂きました。スリランカで過ごした丁度一年目の12月26日、こうして予期せぬ形で被災者と2時間弱を共有できたことは本当に感動でした。次ぎに津波災害に遭っても、被害が少なくなるように「減災教育」を徹底したいと心に誓い、会場を後にしました。コロンボへの岐路は、夜9時を過ぎてしまったこともあって、道中ではあちらこちらで追悼の式典がなされており、沿道や海岸には犠牲者を追悼する灯りが献灯されていました。KOBEに帰ると11年目の「1月17日」が待っているということをヒシヒシと実感した一日でした。とり急ぎ、スリランカ帰国報告と致します。

今年1年大変お世話になりありがとうございました。来年もよろしくお願いします。
posted by ngokobe at 17:07| 兵庫 ☀| 海外の被災地から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月04日

パキスタン北東部地震 第1次派遣 vol.3

パキスタン北東部地震に対する今後の支援について調査するために先月25日から現地入りしているCODEのスタッフは、予定通り明日5日に帰国します。帰国前の今朝現地から電話が入り、元気な声で最後のレポートを送ってくれました。

吉椿さんは慣れているので大丈夫と思っていたのですが、初めてこんな厳寒の地に行く岡本千明さんのほうが心配でした。でも結局今回は現地のローカルNGOや日本のNGOのサポートもあり、マンセラのホテルを拠点に活動できたのでその心配はなくなりました。

さて今日のイスラマバード午後11時発成田行きで現地を後にするのですが、最後の一日にもう一度バトグラム近くの小さな村(バザール・ゲイ)に行くとのことでした。目的は、今後の本格的な復興に向けて村のリーダー達と話すためです。実は、2001年インドグジャラート地震での再建プロジェクトで連携したネパールのNGO=NSETが、耐震建築のプロジェクトのために事前調査で現地入りしていることがわかり、現地でコンタクトをとっていたのですが、昨日会えたようです。場合によっては、パキスタンでも住宅耐震建設のためのデモンストレーションは一緒にできるのかも知れないという可能性が出てきたこともあって、もう一度その小さな村のリーダー達15人と話すことになったようです。

このリーダー達は、口々に「冬が終わったあと、本格的な住居再建が始まる。その時のために今準備できることは何なのか?」とCODEスタッフに聞いているそうです。彼らは今現在の緊急支援のみを要求するのではなく、この冬があけたあとの本格復興に向けての準備に目が向いているとのことです。阪神・淡路大震災の経験からは、やはり住宅再建をするときには「耐震技術」を取り入れた住宅再建ができるように願っています。

バラコットの中心地では、もうかなりの店舗も再開し、まちに活気が戻ってきているとのことです。また復興に伴うさまざまな仕事も発生してきているのか、昼間テントを訪ねても男性はほとんど仕事に行っているそうです。従って昼間は女性が留守番をしていることが多いようで、その分被災を受けた女性の話が多くヒアリングできているものと思われます。先日大阪で開かれたパキスタン報告会で緊急医療チームで入られた女性看護師の話では「女性の負傷者は、なかなか診療所には来れない。それで女性のために診療に特別の配慮をした」ということです。イスラムの習慣では、女性はほとんど外出できません。従ってその辺りは相当の配慮をしなければ実態が見えてきません。今回はその辺りも配慮して女性スタッフである岡本千明を同行させているので帰国すれば詳細が聞けると思います。

みなさん、是非15日神戸YMCAで開催されるパキスタン合同報告会に参加して下さい。
 日時:2005年12月15日(木)18:30〜20:30
 場所:神戸YMCA三宮会館1階チャペル
 報告:柴田信也さん(日本基督教団兵庫教区被災者生活支援・長田センター主事)
    吉椿雅道・岡本千明(CODE)
posted by ngokobe at 17:17| 兵庫 ☁| 海外の被災地から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月28日

スマトラ沖地震津波

 26日に発生したインド洋の津波被害についての詳報は、CODEのサイトに掲載しております。
posted by ngokobe at 14:40| 兵庫 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 海外の被災地から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月20日

しあわせ運べるように〜阪神淡路大震災の学習を通して〜(港島小学校)

 港島小学校はポートアイランドにある小学校です。
 前にうちの代表の村井とCODEの斉藤がイランの話をさせて頂きに伺ったことがあるのですが、6年生の震災学習を紹介しているページに、その時の感想が紹介されていました。

 しあわせ運べるように〜阪神淡路大震災の学習を通して〜港島小学校サイト

 港島小学校のみなさんが歌う「しあわせ運べるように」は、こちらのサイトで聴くことが出来ます。
 http://www.mainichi.co.jp/osaka/shiawase/music.html
 http://osaka.yomiuri.co.jp/shinsai10/tsutae/ss40923a.htm
posted by ngokobe at 17:58| 兵庫 ☀| Comment(0) | TrackBack(1) | 海外の被災地から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月19日

「がんばろう!新潟 かわらばん」に足湯隊の活動掲載

 新潟県災害救援ボランティア本部の発行する「かわらばん」に、神戸からの足湯隊メンバー・吉椿さんの記事が載っています。足湯のイラスト入り解説付き。

▼かわらばん 010(PDFファイル650KB)
posted by ngokobe at 13:21| 兵庫 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 海外の被災地から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月17日

中越地震レポート・小千谷にて

 11月2日から新潟に派遣されていた鈴木隆太のレポートです。「じゃりみち」に掲載予定の文章ですが、先にこちらに掲載します。

<はじめに>

 10月23日に発生した新潟県中越地震で、長岡市、小千谷市、山古志村、川口町、十日町市などが大きな被害を受けました。ちょうど、台風23号の影響で兵庫県内において甚大な被害を受け、兵庫県内の関係団体などが活動を展開している中、発生した大きな災害でした。
 これを受けて、11月2日より新潟県の被災地である小千谷市に入り、活動を開始致しました。そのレポートをお送りいたします。続きを読む
posted by ngokobe at 10:05| 兵庫 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 海外の被災地から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月05日

恋するNPO

 神戸は長田のコミュニティFM「FMわぃわぃ」に出演してきました。しかも生放送。おそろしか〜
 「恋するNPO」という、タイトルからして普通の放送局ではあり得ないような番組なのですが、DJというのか、パーソナリティというのか、話し手も神戸のNGO/NPOのスタッフが務めているという、不思議な番組です。ていうか、ほんまにラジオはじめてなん? てくらい流暢に喋っておられましたが。
 台風23号と新潟中越地震の特集ということで、現地を訪れたうちのスタッフ2名がゲストで出てきました。生放送だから、どんな番組になったかは自分では聞いていません。いや、聞きたくない(^^;
posted by ngokobe at 23:45| 兵庫 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 海外の被災地から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月02日

イラン地震・バム現地レポート最終版<14>

 バム現地レポート最終版<14>がCODEのサイトに掲載されています。
posted by ngokobe at 23:59| 兵庫 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 海外の被災地から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年10月29日

イラン地震・バム現地レポート<13>10月29日

 バム現地レポート<13>10月29日がCODEのサイトに掲載されています。
posted by ngokobe at 09:14| 兵庫 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 海外の被災地から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。